
大学生活最後の春休み。
僕は、夏の「ひとり旅」で出会ったネパール人の友達、ルパに会うため、20日間ほどネパールを旅した。
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ハワイの青い空、オーストラリアの大地、中国の喧騒。これまで訪れたどの国ともまったく違う風景が、飛行機の窓の外に広がっていた。くすんだ茶色の大地と、立ち並ぶレンガ造りの建物。そして、遠くに霞んで見えるヒマラヤの稜線。その瞬間、僕の胸の奥に「ここは全く違う世界だ」という実感がじわりと込み上げた。
カトマンズ空港の到着ロビーを出ると、いきなり現実の洗礼を受けた。客引きの嵐だ。
「タクシー!?」「ホテル!?」「どこ行く!?」
みんな身を乗り出して、僕に向かって声を張り上げてくる。僕はボーゼン。
そんな僕を助けてくれたのが、ルパの妹・リタだった。小柄でキラキラした目の女の子。「あなた、タキね?」そう言って、彼女が笑いながら僕の腕を取って、混沌の空港から連れ出してくれたのだ。
僕たちは空港から歩いて家まで向かった。途中、野良の水牛がごみをあさっていた。道路はぼこぼこで、クラクションがあちこちから鳴っていたけれど、不思議と「怖い」とは思わなかった。むしろ、どこか懐かしいような…そんな不思議な感覚だった。
ルパの家に着くと、彼女と、お父さんお母さんが笑顔で迎えてくれた。
ネパール式のティカ(額につける赤い粉)をつけられて、温かいチャイをふるまわれた時、「ああ、本当に来たんだな」と思った。
両親は日本で出稼ぎをしているそうで、僕の到着の翌日に日本に戻る予定だという。
普段は、ルパとリタの姉妹ふたりで暮らしている。ルパはしっかり者で、まるでお母さんのようにリタの世話を焼いていた。リタはとにかく自由奔放。おしゃべりで、笑い上戸で、そしてちょっとだけ、僕に距離が近い。
僕はパタンのダルバール広場の前にある小さなホテルに滞在した。毎日、午前中は広場に座って本を読んだ。レンガ造りの寺院と、行き交う人々を眺めながら、まるでこの街の一部になったような気持ちで。
ときどき、現地の人に声をかけられる。英語や、カタコトの日本語で話しかけてくれる人もいた。日本人はだいたいみんなポカラにトレッキングに行ってしまうから、こんなふうに毎日すわっているのは珍しいらしい。
ある日、地元の少年グループに誘われて、彼らが運営しているという小さな画廊を見せてもらった。繊細で鮮やかな絵が壁に並んでいて、彼らの暮らしは決して豊かではないけれど、その表現の力強さに圧倒された。ルパたちよりもさらに厳しい経済状況の中で、それでも夢を持って生きる彼らに、僕は静かに心を動かされた。
午後になると、僕はルパたちの家に行き、一緒にテレビを見たり、ネパールのスナックをつまんだりして過ごした。
ルパには彼氏がいた。とても優しい青年だった。僕たちは4人でよく出かけた。ルパと彼氏、リタと僕。小さな市場や、近所の寺院、公園、屋台。リタはいつも僕の隣にいてくれて、いろいろなことを教えてくれた。
何気ない時間が、宝物のようだった。

ある日、ルパと彼氏がふたりきりのデートに出かけたとき、リタが「今日は私があなたのガイドよ!」と得意げに僕の手を引き、外に連れ出した。寺院を案内してくれたり、地元のカフェでチャイを飲んだり。
そのとき、リタがふと、「ねぇ、またネパールに来てくれる?」と真剣な顔で言った。
僕は、冗談っぽく「うーん、どうかな?」と笑ってごまかしたけれど、心の奥は、ちょっとだけざわついた。
リタは学校ではバンドのボーカルをしているらしく、僕にも歌を披露してくれた。透明感のある声だった。
「あなたも何か歌って!」と言われて、僕もスピッツやブルーハーツ、宇多田ヒカルの歌を歌った。
知らない土地で、日本語の歌を歌う――なんだか不思議な気持ちだったけど、リタは目を輝かせながら聴いてくれた。
20年後の今、旅がもっと自由になっている
あれから20年。
旅のスタイルも、コミュニケーションも、ずいぶん変わった。
もし今またネパールに行くとしたら、eSIMを使ってすぐネットにつなげるし、翻訳アプリで現地の人との会話もスムーズだろう。
当時は考えもしなかったけれど、今なら絶対使いたいと思うのが、【TORA eSIM】。
渡航前にスマホに設定しておくだけで、現地の空港でSIMカードを探す手間もなし。
国ごとにプランを選べるから、初めての国でも安心して使える。
▼20年前の僕にも教えてあげたかった
海外向けeSIM!スマホ一つで旅行がもっと快適【TORA eSIM】
そして、ネパール滞在もいよいよ終盤。
ちょうど僕がいた3月、街はある祝祭に向けて色めき始めていた。
そう、「ホリ」――色と水にまみれる、ネパールの春の祭り。
それは僕の旅のクライマックスであり、忘れられない一日になった。
この旅の後編では、その「ホリ祭り」で体験した、ネパールの“本当の姿”と、人々の笑顔、そして別れについて綴ります。
どうか次回も、お楽しみに。